県の東部へドライブ、海や龍泉洞を見てきた – 「どこかにビューーン!」で行く土日の岩手旅行:2日目

2024年の旅行記

おはようございます。今日はレンタカーに乗って岩手県の東部、宮古や岩泉を巡る予定です。海や鍾乳洞を見たり、岩泉線の廃線跡を見てこられたらいいな。

市内観光をして岩手網張温泉でゆったり過ごしてきた - 「どこかにビューーン!」で行く土日の岩手旅行:1日目
初めて「どこかにビューーン!」を使ってみました。往復4,000ポイントで岩手県の盛岡まで行ってきます!

休暇村 岩手網張温泉の朝食はバイキングスタイル

夕食と朝食でバイキングが連続なの、こういう大衆的な温泉旅館にありがち。実際まだ前日分が残っているが……という気分もありつつに会場へ。

手作りのお豆腐に卵焼き、大根おろしなど。寄せ豆腐みたいでおいしそう。

なめ茸に卯の花、ハムに金時豆。全体的に和食のラインアップだけど、ハムだけ仲間はずれのような雰囲気を感じる。裏手にあるのはきんぴらごぼうとフキの煮物でした。

サラダはキャベツや人参の千切りのほか、朝にはボイルした小松菜がでていました。ほうれん草だったら無限に食べてたかもしれない。

ミートソーススパゲティとカボチャの煮付け。少し煮すぎのようで崩れちゃってる……。

サバの塩焼きと、この蒸し器の中身はなんだろう。

開けてみると焼売が入ってました。カボチャ焼売だそうです。

裏手にはホッケのみりん干し。北海道以外だと珍しい気がするけど、青森のスーパーでも生のホッケ売ってたな。北東北でも結構メジャーなんだろうか。

ウインナーとホタテ!と思ったらホタテ風かまぼこでした。さすがに紋別のホテルのように朝からホタテは出てこなかった。でもホタテのような食感で美味しい。

ステーキを焼く鉄板で作る目玉焼き。黄身は半生なので、ご飯に乗せて食べると良さそう。

温泉旅館らしく温泉たまご。小さな宿とかだと「自家源泉で作りました」とかもあるけど、さすがにそんなことはなさそう。だとしたら書いてあるだろうし。

朝ご飯らしい漬物や梅干し、焼き海苔など。明太子があるのはうれしい。

納豆の上にあるのは、お稲荷さんにのせる具材、一応これが朝食のメインイベントのようになっているらしい。すっかり忘れて乗せずに食べちゃったけど……。

朝にはおかゆって人も居るみたいで、炊飯器に入れられたおかゆが用意されていました。

白米は「銀河のしずく」だけで、夕食にあった「ひとめぼれ」はなし。

ごはんに乗せて食べるお茶漬け。あんまり食欲がない時には良いよね。

お味噌汁とコーンスープ。ご飯に合わせるか、パンに合わせるかって感じ。

ここで焼いたパンが並ぶパンコーナー。ウインナーロールやバターロールのほか、食パンなどもありました。小さ目なので食べやすそう。

デザートコーナー。昨晩は飲むヨーグルトだったけど、朝は普通のヨーグルトでした。

裏手にあるのはブドウやグレープフルーツとわらび餅。

アイスはジェラートではなく普通のアイスクリーム。でも朝からアイスがあるのは嬉しいね。

ドリンクは夕飯と同じドリンクバーがありました。

他には小岩井牛乳に岩手県産のぶどう酢とりんご酢が並びます。

持ってきた料理たち。あまりお腹が空いていなかったこともあって、ちょっと控えめに。内容としてはちょっと良い感じのビジネスホテルの朝食のような感じで、お腹空いていたらもっと食べられたかも。ごちそうさまでした!

送迎車で盛岡駅まで送り届けてくれる

朝食を食べたら出発の時間。ちょっと雲は多いけど、いいお天気で出発できそうです。

入口に待機している送迎バス。来るときは混んでてゆったり過ごせなかったけど、盛岡へ帰るときは空いてたのでよかった。まあ朝早かったからね。

送迎バスに向かって大きな手でばいばーいしてくれるスタッフの方々。粋な心意気です。

車に揺られること50分ほどで盛岡駅に到着。車が無くても泊まれるってのは大きなアドバンテージに感じる。お世話になりました!

レンタカーを借りて宮古市へ

ノートe-POWERだった

盛岡駅に到着後、お手洗いなどを済ませて反対側へ。予約していたレンタカーを借りに来ました。今回の車種はノートe-POWERで、燃費がそんなに良いかというと微妙だけど、加速などのパワーが良いのは好き。

宮古市までは国道106号バイパスを飛ばして行きます。東日本大震災の復興という名目もあり、めちゃくちゃ快適な道へと整備されていました。これじゃ山田線が太刀打ちできるわけもない。

道の駅「シートピアなあど」で小休憩

宮古市に到着後、少し休憩のために立ち寄ったのが「シートピアなあど」という道の駅。この辺りの施設には多く記載があるけど、こうして津波の高さを示すラインが書いてあると、どれほどの高さだったのかを思い知ります。

入口に「鮭・あわびまつり」の開催を知らせるポスター。良く見たら今日だったので、予定にはなかったけど行ってみることに。

津波被害を今に遺す「たろう観光ホテル」へ

「鮭・あわびまつり」の会場近くにある「たろう観光ホテル」という施設。ここは下半分が津波によって流されてしまい、上層階のみが残っているホテル。津波の被害を後世に遺すということで、現在でも当時のまま残されています。

普段は内部に入ることはできず、入るためには「4,000円」でガイドを依頼する必要があります。しかし今日は祭りのイベントの一つとして、年に1回の無料開放が行われていました。

1階部分。骨組みと基礎だけが残されています。中央部のエレベーターの破損具合が津波の力の強さを思い知らされます。

2階部分。地震だけであれば瓦礫が散乱しているようなこともあるけど、津波の場合は全部流していってしまう。まるで元から何もなかったかのように。

津波被害を受けなかった6階にやってきました。ここには当時の部屋構成などが書かれた案内図が残されています。

ここ田老(たろう)の地域は、東日本大震災の前にも「明治三陸地震」や「昭和三陸地震」などで大きな津波被害を受けたエリア。そんな経緯もあって、当時から「大地震が起きたら津波が来る」という危機意識を持っていました。ホテル内の張り紙にも津波に対する意識が見て取れます。

最上階から山の方を見ると、津波から逃げるための道が用意されています。こうした津波に対する意識によって、津波による死者は「4%」と、50%以上の明治三陸地震や、20%近くの昭和三陸地震に比べて少なく抑えることができたと言われています。

たろう観光ホテルの6階からの景色。震災時には奥に見える湾の部分から津波が押し寄せ、気づいた時には一面が波に飲み込まれて全てが流されました。現地ではその当時の映像の放映がありましたが、「津波が来た」と目で見てから逃げていては、到底間に合わないというのが実感できる早さでした。

基礎部分だけが残る住宅の跡

実際このエリアの震度は「5強」と、日本の住宅であれば耐えられる可能性が高い強さだったこともあり、被害の多くは津波によるものであったことが想像できます。地震の強さだけに気を取られず、沿岸部に居たら高台に逃げること。改めて意識しておかないとな。

津波当時は多くの人が避難してきたであろう、たろう観光ホテルの近くにある山から見える三王岩。展望台から見るよりも、道中からのほうがよく見える……。

「鮭・あわびまつり」で「牡蠣」を食べてきた

たろう観光ホテルから歩いて「鮭・あわびまつり」の会場へ。名前の通り鮭やあわびがメインのお祭りで、あわび釣り体験やパフォーマーによるステージも開催されていました。

そんなお祭りで食べたのは「蒸し牡蠣」って、ここ最近牡蠣を食べすぎている気がする(厚岸→広島と食べてる)。

2人で4つ1,000円を買ったら、小さいからと3つやってきた。揚げとか焼きも良いけど、蒸しも良いね。磯の味(?)もして濃厚な味でおいしかった。

話好きな店主がいる「かなざわ」で海鮮丼ランチ

さすがに牡蠣だけではお昼ごはんにならないので、昼食を取りに「かなざわ」というお店にやってきました。ここは海鮮丼を中心に、三陸の魚料理などが楽しめるお店。

ランチメニューは一番高いものでも1,200円とリーズナブルな価格設定。今回は海鮮丼を求めてきたので、海鮮丼定食を注文しました。

こちらがやってきた海鮮丼。海鮮丼のほかに小鉢や汁物まで付いていて、これで1,200円?!というボリュームです。海鮮丼の中身はエビやしめ鯖などが入っており、毎回決まったものではなくてその時どきで内容が変わるんだとか。

この焼き魚は「どんこ」と呼ばれる地元で獲れるお魚。淡白でさっぱりした味わいです。食事をしながらも店主がいろいろとお話しし続けてくれるので、常に店内は賑やかな状態。人情あふれるお店でした。ごちそうさまです。

お店の近くには過去の津波の慰霊碑が設置されており、新しいものは東日本大震災のものでしょうか。これだけの回数津波に襲われてきた地域というのがこのような形でも遺されています。

また、少し北に進むと三陸の海を一望できるビュースポットがあるので、一緒に見ておくと良さそう。

日本三大鍾乳洞と言われる「龍泉洞」へ

岩泉町に来た理由のひとつが、日本三大鍾乳洞ともいわれている「龍泉洞」に行くこと。通常の入場料は1,100円だけど、東武トップツアーズのクーポンを使うことで930円で入場可能。別に東武トップツアーズの旅行商品で来てなくても利用可能です。

この龍泉洞は地下深くに広がる洞窟で、中には神秘的な「青い湖」が見られることが特徴。また、天然記念物に指定されているコウモリも生息しているみたいだけど、見られるかは運しだい。

入り口近くにある「長命の淵」です。ひと口飲むと3年寿命が延びるという言い伝えから名づけられた場所で、透明度がとても高い水が川のように流れている光景を見られます。そうそう、洞窟内は上からポタポタと水が垂れてくる場所が多いので、カメラにはハンカチをかぶせておくなどの対策をしておくことをおすすめ。

洞窟内は歩道が整備されているので、道なき道を進むような洞窟探検にはなりません。とはいえ暗い場所で足元が不安定な場所もあるので、歩きやすい靴で来るのが無難。

場所によってはこのように狭いところも。余り横幅が大きすぎる人(失礼)だと、途中から先に行けないなんてこともあるかもしれない。

青く染まる池。でもこれって、水の色というよりは照明の色のような気もするけど。

先ほどの狭い道を進むと、開けた場所に出ます。右手にあるのは「地蔵岩」という鍾乳石が地蔵のような形になっている岩。お祈りしている人もいたけど、個人的に知らない地蔵に手を合わせるの怖いんだよな……。

水深35メートルにもなる「第一地底湖」です。透明度が高い水で水底まで見ることができるけど、なんだか吸い込まれそうな雰囲気でちょっと怖い。

先ほどの「第一地底湖」の約3倍、98メートルもの水深がある「第三地底湖」です。カメラを構えて写真を撮っていたけども、もし落としたら絶対に回収できなさそう。きっとスマホの数台は下に落ちてるんじゃないんだろうか。

第三地底湖で観光コースは終了となり、そのまま戻るか「第一地底湖展望台」に行くかのルートに分かれます。後者の第一地底湖展望台へ行く道はご覧のように急な階段や狭い道が続くルートなので、自身がないならばそのまま戻るのも選択肢の一つ。

第一地底湖を上から眺めることができる「第一地底湖展望台」です。ちょうど穴が開いている場所で、どこまでも続く穴のようにも見える。

第一地底湖展望台の先に進むと、コウモリが飛んできそうなトンネルが続いています。でも時間帯の関係か、今回コウモリに出会うことはできず。居たら居たでヒェッってなりそうだけど。

龍泉洞から流れ出る水を飲むことができる

先ほど龍泉洞で見た水が、入り口で湧き水として飲めるようになっています。石灰石の層を通ることから硬水となっていて、ゴクゴクッっとのど越しの良い水でした。ペットボトルなどに入れていくのもいいかもね。

洞窟が科学館となっている「龍泉新洞科学館」へ

龍泉洞の向かい側には、洞窟が科学館となっている「龍泉新洞科学館」があり、龍泉洞の入場券を購入すると入ることが可能。洞内は撮影禁止となっているため、気になる人は公式サイトを見てみてください。

龍泉新洞科学館について(龍泉洞)

龍泉新洞科学館の探索も終えて、近くのお店で牛乳を購入。こういう地元メーカーの牛乳を見るとついつい購入してしまう。

災害によって運休となり、そのまま廃止された「岩泉線」の廃線跡を見てきた

龍泉洞のある岩泉町には、2014年(実際に列車が来ていたのは2010年)まで、山田線の「茂市」から「岩泉」までを結ぶ全長38.4キロ、全9駅の「岩泉線」という鉄道路線が通っていました。しかし2010年の災害によって不通となり、そのまま復旧されることもなく廃止に。もし災害が無ければ、今でも走っていた可能性がある路線です。

JR東日本管内で第三セクターや北陸新幹線への移行によって廃止された「横軽(信越本線の横川~軽井沢)」を除けば、初めて廃止された路線となっています。そういえば久留里線の末端区間も廃止されるようだけど、災害以外で初の廃止になる区間になりそうだなぁ。

岩泉線の終着駅だった「岩泉駅」

岩泉町の中心部の端に位置する岩泉駅。廃止後も駅舎は解体されておらず、岩泉商工会やJRバス東北が利用しています。

駅舎の中には当時の資料などが展示されていますが、土休日は閉館。平日に来ないとみることはできません。しかし見ると北海道の国鉄時代に廃止された路線のような光景。

駅のガラスには「がんばれ!岩泉線」というステッカーがうっすら残っています。がんばれという言葉だけではどうしようもないという現実を示しているような雰囲気。

そんな岩泉線も、開業当時は多くの旅客や貨物などでにぎわっていた過去があります。でもその賑わいはそこがトップで、その先はずっと右肩下がり。それもそのはずで、岩泉町自体の人口も開業時には2万人近くいたのに今では1万人を切っています。その上移動手段が自動車にシフトしたこともあり、誰も使わなくなってしまいました。

岩泉線が運行されていた時……というか、東北新幹線も開業していないし、三陸側も久慈までの八戸線と、宮古から田老までの「宮古線(現在の三陸鉄道)」までしか描かれていないのを見ると、これって岩泉線の開業した昭和47年から何も修正されてないようです。ある意味貴重な歴史資料だ。

駅舎の中には入れませんが、駅舎の裏手からホーム跡を見ることは可能。線路はすでに剥がされていましたが、ホームは当時のまま残されています。

今はあまり見なくなった気がする「歓迎」の看板。もう二度とこれを見て岩泉に降り立つ人はいないことを知ってか知らずか、看板はいつまでもホームに向かって掲げられています。

ホームには国鉄スタイルの駅名看板が置いてありました。しかし運行当時の写真を調べるとJR東日本スタイルのものが設置されていたようで、この看板は廃止後に設置されたもののようです。

「14年前」遠い昔のような、つい最近のような時間。列車が来なくなっても、駅だけは今でも残り続けています。

ホーム側の窓から、廃止当時の時刻表を見ることができました。運行本数はわずか3往復で、通学にも使いにくい時間帯に設定されています。これじゃ誰もつかえないよ。

ホーム跡と線路が残る「二升石駅」跡

岩泉駅の次の駅、二升石駅へとやってきました。ここには当時から利用されていた待合室が今も残されており、二升石駅待合室という看板もそのままです。

駅の下には無人販売所があり、干し柿に使う渋柿などが販売中。買いに来る人が居るのかは謎だけど。そして駅は高台の上にありました。上の柵がホーム跡です。

駅舎はすでに解体されていますが、ホームは当時のまま現存しています。

そして線路もそのままでした。この区間は岩泉町に無償で払い下げされているので、必要最低限の撤去だけしかしていないのかもしれません。

駅舎や給水塔も残る「浅内駅」跡

続いては、昭和32年から岩泉駅までの延伸が行われる昭和47年までの間、岩泉線(当時は「小本線」と呼ばれていた)の終着駅だった浅内駅跡です。看板はないものの、岩泉駅と同様に駅舎が残されていました。

駅舎の前には駅の歴史を記した看板が設置されており、駅周辺に旅館や食堂などがあったなど、往年の賑わいを記しています。

画像:「今昔マップ on the web」より作成、浅内駅の1974-1978年の航空写真

当時の浅内地区には小学校などもあったようだけど、平成4年に閉校。駅前にあった商店も岩泉線の正式な廃線後には閉店をし、駅前に残っているのはガソリンスタンドくらいになってしまっていました。

駅舎の中は見学できるようになっており、当時の写真などが展示されています。

ホーム跡。駅名の看板以外は当時のまま残されており、線路もそのままです。

また、昔走っていた蒸気機関車の給水塔も残されています。蒸気機関車の運行が終了した後、平成になって現役の路線であったのにも関わらず撤去されなかったってのはすごい。

そうして写真を撮っていると、駅舎の中から人が。ちょうど事務所側で集まってイカ焼きなどを食べていたようで、中を見学させてもらいました。

有人駅時代の改札の跡や、荷物預り所などの文字が当時のまま残されており、表から見られないのが残念な限り。

駅前が栄えていたころのジオラマもありました。動かしたいけど電気が来ていないから動かないんだとか。

給水塔が現役で利用されていた時代の構内配線図も残っていて、手書きで書かれているのが味があります。もう少しゆっくりしたかったけども、時間が迫るので離脱。いいタイミングで来られたな。

藪に埋もれている「岩手大川駅」跡

続いては国道340号から少し外れた場所にある「岩手大川駅」です。一体どこに駅があるんだろう……?

奥まで行ってみるとホーム跡と駅名看板が設置されていた枠が残っていました。今までの駅に比べると放置されている感じが強く、自然に還りつつあります。

昭和32年まで終着駅だった「宇津野駅」跡

バイバスから来ちゃったので見上げるしかできなかった宇津野駅。ここは岩泉線が浅内まで開業するまでは終着駅だった場所で、航空写真で見ると少し広いスペースが用意されているのがわかります。旧道から行くと駅跡に向かう橋があるみたい。

秘境駅として有名だった「押角駅」跡

運行当時は秘境駅として話題になっていた押角駅。ホーム跡は養殖場となっているようで、現在は跡は残っていません。でも国道には看板が残されていて、無くなった駅を示し続けています。

レールバイクが運行されている「岩手和井内駅」跡

岩泉線の廃線跡の中で、唯一JRの看板が残されている「岩手和井内駅」の跡。ここはレールバイクが隣の中里駅まで運行されていて、今でも維持管理がされています。

JRスタイルの駅名看板も設置されていますが、隣駅の記載は消されています。なんでここだけ消してあるのかは謎。

ホーム側にはレールバイクの設備が置いてあります。いつやってるのか良くわからないけど、乗る機会があれば乗ってみたいな。

現役の駅のような「中里駅」跡

先ほどの岩手和井内駅からレールバイクが運行されている中里駅。運行当時のホームや駅舎などが残されており、今でも列車がやってきそうな雰囲気です。

跡形もなく消え去っている「岩手刈屋駅」跡

ここまでの駅跡は何かしら痕跡が残っていたけど、最後の駅「岩手刈屋駅」では駅舎もホームもなく、全ての痕跡が消え去っています。運行当時には風情ある木造駅舎があったと聞くので、なくなってしまったのは残念。

山田線との分岐駅だった「茂市駅」

岩泉線の廃線跡を巡り、山田線と分岐していた茂市駅へと到着。この駅は現在でも山田線の駅として現役だけど、現在は災害の影響で不通に。でも復旧予定があるのでひとまず安心といったところ。

山田線の運行本数は1日5、6本。まだなんとか利用できるだけの本数が確保されているように思えます。

なお山田線に並行して「106特急・急行」というバスが運行されており、山田線の振替輸送などを担っています。この区間では完全に競合となっているものの、山田線の定期券でバスが利用できるなど、客の取り合いではなく共存しているような状況です。

茂市駅のホーム。現在明かりが付いているのは山田線の2-3番線ホームで、左側にあるのが旧岩泉線ホーム。既に立ち入りはできないようになっており、対向のホームや入口から眺めることしかできません。

盛岡から新幹線に乗って関東へ帰還

茂市駅から国道106号線を通って盛岡駅へと戻ってきました。走行距離は251キロと思ったよりも長い距離。さすがは都府県で一番大きな県なことはある。

盛岡駅の「柳家」で「キムチ納豆ラーメン」を食べてきた

レンタカーを返却して、盛岡駅にある「柳家」というお店へ。ここは岩手県を中心に展開しているラーメン店で、名物は「キムチ納豆ラーメン」なるメニュー。フォロワーさんに教えてもらって来てみました。

メインのキムチ納豆ラーメンのほか、辛さを増した「レットホットキムチ納豆」や、味が想像できない「レアチーズキムチ納豆」なるメニューも。悩んだけども、無難に通常のキムチ納豆ラーメンを注文。

こちらがキムチ納豆ラーメン。納豆はスープに混ざっている感じで、あんまり豆がゴロゴロしているような感じではありませんでした。味噌味のスープに納豆の風味が漂い食欲の湧く一杯。あまり納豆の匂いは強くないので、匂いが苦手という人でも食べられるかも。ごちそうさまでした!

盛岡から大宮まで(東北新幹線)

食事を終えて、南部せんべいも買ったので改札内へ。そろそろ新幹線に乗って帰る時間です。行きは東京駅から乗ったけど、帰りは早く帰りたいので大宮まで。

乗車するのは18時41分発の「やまびこ66号」で、次のはやぶさはもちろん、その次のはやぶさにも追い抜かれます。到着時間的には1時間後のはやぶさとほぼ同じ……。

手前のE5系が乗る予定のやまびこ号。そして奥にいるのはE2系でした。このエリアにはあんまりいない印象だったので驚き。どこ行きかは記載が無かったので、回送列車なのかも。

  • 66B
  • 盛岡→大宮:東北新幹線
  • やまびこ66号
  • 盛岡→東京
  • 盛岡→大宮
  • 18時41分→21時35分

ほとんどすべての駅に停車するやまびこ号。途中駅での通過待ちなどもあることで、大宮までは3時間ほどの長旅です。グリーン車とかグランクラスだと、逆にやまびこの方がゆったり過ごせる時間が長くて良いかもしれない。

行きは2,005ポイント、帰りは1,995ポイントという謎な設定のきっぷ。乗り遅れの救済なども無いので、絶対に乗り遅れないようにしましょう。乗り遅れたら15,000円ほどの出費です。

日曜日の夜だってのに、車内はガラガラ。だれもこんな遅いやまびこに乗って東京まで帰るようなことはしません。おそらく仙台くらいからは満員レベルになりそう。

途中駅ですれ違った「はやぶさ107号」は、はやぶさとか言いながら仙台からは各駅停車。そんなわけで、仙台以北からの乗車であればはやぶさ料金が不要だった気がする。

1時間ほど乗車して古川駅に到着。古川駅前には「アパホテル」と「ルートイン」があるのだけど、このアパホテルはもともと「東北イン」というホテルでした。で、その東北インはもともと「東横イン」だったので、遠回しに「東横インがアパホテルにリブランド」という状況に。

なお2026年に東横インが古川駅前にホテルを建築する予定だそうで、東横インと「元」東横インが駅前に並ぶことになります。

そんなこんなで気が付いたら大宮駅に到着。ここで下車して自宅へと帰ります。

定刻通りに大宮駅に到着。さて、東京駅までのきっぷを持って改札を通りましょう。

でもきっぷ自体が「東京駅まで」になっているからか、自動改札ではエラーになって降りられません。なので有人改札に持っていく必要があり、大宮での出場印の印字はできないので注意。

同行者が東京から乗るとかいう事情じゃなければ、降りたい駅からにした方が手間はありません。

良い場所が出ればお得な「どこかにビューーン!」

飛行機だとどうしても北海道まで飛んでしまい、なかなか行くことのない北東北。今回は4,000ポイントで盛岡まで行くことができ、温泉とか景色・グルメなどを楽しむことができました。

ある程度回数を回せば行きたいところに行けるし、飛行機に比べて席数も多いので候補すらでてこないってこともない「どこかにビューーン!」。まだポイントは余ってるし、気が向いたら行ってみようかな。

コメント

タイトルとURLをコピーしました