おはようございます。今日は北見を出発して「ふるさと銀河線(旧池北線)」の廃線跡をめぐって空港へと向かう予定です。全駅いけたら良いけど間に合うかな。

- 朝食は北見の名物料理も食べられるバイキング
- 2006年に廃止された「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」
- ふるさと銀河線の廃線跡を見てきた
- 住宅地の高台のような場所にあった「北光社駅」跡
- コミュニティセンターとなっている「上常呂駅」跡
- 農機具置き場となっている「広郷駅」跡
- 駅舎が休憩所として残る「日ノ出駅」跡
- ホーム跡の路盤が残る「穂波駅」跡
- 駅舎やホームの跡が残る「訓子府駅」跡
- ソーラーパネルが設置されている「西富駅」跡
- 畑の一部になっている「西訓子府駅」跡
- 駅跡の碑が設置されている「境野駅」跡
- 玉ねぎ畑の農道になっている「豊住駅」跡
- 線路が一部残されている「置戸駅」跡
- 駅の時刻表が残っている「小利別駅」跡
- 工事の事務所になっている「川上駅」跡
- 線路と駅名標が残っている「分線駅」跡
- 駅の設備や車両も残されている「陸別駅」跡
- 待合室の建物が残されている「薫別駅」跡
- 駅舎が撤去されてしまった「大誉地駅」跡
- 森の中に埋もれている「笹森駅」跡
- 道路看板に痕跡が残る「上利別駅」跡
- なぜここに? 畑の中にあった「塩幌駅」跡
- 資材置き場のようになっている「西一線駅」跡
- 駅舎がレストランとして再利用されている「愛冠駅」跡
- 道の駅の増築によってなくなってしまった「足寄駅」跡
- 「レストラン あしょろ」で名物の「フキ」を食べてきた
- 駅跡が簡単な資料館になっている「仙美里駅」跡
- 明治時代の跨線橋が残されている「本別駅」跡
- 甘納豆屋さんがお金を出して作った「岡女堂駅」跡
- 工場の裏手にひっそり有った「南本別駅」跡
- 駅舎のあった場所はトイレになっている「勇足駅」跡
- 草原となっている「大森駅」跡
- 駅跡のモニュメントが設置されている「高島駅」跡
- 藪に埋もれている「様舞駅」跡
- 根室本線との分岐駅だった「池田駅」に到着
- 釧路空港から羽田へ帰還
朝食は北見の名物料理も食べられるバイキング
ドーミーインに泊まるならば、せっかくなら食べたい朝食。ドーミーイン北見では海鮮丼などはないものの、北見の名物料理が食べられるビュッフェとなっています(※提供内容は宿泊時の内容です)。
※本記事内の写真に関しては、共立メンテナンスの許可を経て撮影しております。

最初はサラダコーナー。カニカマの入ったマカロニサラダのほか、ヤングコーンにブロッコリー、ミニトマトとオニオンにレタス。ミニトマトはヘタが取ってあって食べやすい。

小鉢コーナー。めかぶやイカの塩辛、モロヘイヤなどが並びます。モロヘイヤ好きだからラインアップに並んでるのうれしい。

総菜コーナー。北海道らしいホタテフライに鶏のから揚げ、ポテトフライとベーコンに目玉焼きです。

冬瓜とつくねの煮物に鮭塩焼き。冬瓜は夏限定メニューらしい。

ご当地メニューコーナー。シチューにしか見えないホワイトカレーに豚バラ焼、さらに網走湖産のしじみの味噌汁です。ホワイトカレーは見た目と味のギャップがおもしろい。

ご飯は北海道産ななつぼしを使った白米のほか、季節限定の「ごぼうと新ショウガのご飯」の2種類用意されていました。

パンとデザートコーナー。パンは小さめなので食べやすそう。ケーキと大福は他のドーミーインでも見かけるいつものやつです。

最後にドリンクコーナー。ホット/アイスコーヒーとよつ葉牛乳、北海道のご当地ドリンクとして知られるソフトカツゲン、炭酸などもあるドリンクバーが並んでいました。コーヒーに牛乳を入れてカフェオレにしても美味しそう。

持ってきたのがこちら。ホワイトカレーのを中心にいろいろなメニューを持ってきました。どれも美味しいのでついつい食べすぎちゃうけど、全体的に油物が多いので体重が気になるこの頃……。

ご当地メニューよりも気になったのがモロヘイヤ。好きなんだけど結構高いこともあるので、この機会に存分にいただきます。


朝からたっぷりご飯を食べられて満足。ごちそうさまでした!
北見市中心部で泉質良好な温泉に入れるホテル
これまで「旭川」「稚内」「網走」と泊まってきたので、今回は泊まったことが無い北見に宿泊してみました。全体的には「いつものドーミーイン」という感じだけど、温泉がトロトロで「温泉に入ってる」って感じがするのは好き。


朝食も2,000円に値上がりしていたり、そもそも素泊まりでも結構高くなってきてしまっているのが難点だけど、値段が問題なければ無難におすすめできるホテルではないでしょうか。お世話になりました。
2006年に廃止された「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」
今回廃線跡をめぐるのは、元々は「網走線」として道央と網走を結ぶ路線として建設された「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」です。当初は重要路線として重宝されたようだけど、石北本線の開業によってメインルートから外れ、利用者減によって廃線の対象に。
しかし長距離路線であったことや沿線人口も(今に比べれば)多かったこともあり、第三セクター鉄道として運営されていました。が、利用者の減少による赤字が大きくなったことで2006年に全線廃止に。今では代替バスが運行されています。
起点駅は根室本線の「池田駅」、終点は石北本線の「北見駅」となっていて、路線距離は140キロ。当時の第三セクター路線としては最長となっていました。
ふるさと銀河線の廃線跡を見てきた
ふるさと銀河線の起点は池田駅だけど、今回は終点となっていた北見駅からスタート。特にフィルターなどを掛けたわけでもないんだけど、何だか少し古いような懐かしい感じに撮れてる気がする。

出発前に北見市内にある「モダ石油」で給油。また15リットル以上の給油でティッシュを配ってたのでもらってきました。今回の旅行で2箱ゲット。

住宅地の高台のような場所にあった「北光社駅」跡
北見駅の次にあった「北光社駅」です。当初から簡素な駅だったということもあり、跡地は高台のようになっている以外何も残っていません。周囲は住宅街になっているようだけど、あんまり使われていたような印象もなさそうでした。

駅の少し先には橋台の跡が残っている場所もありました。旧網走線の頃からの橋台のように見え、歴史を感じます。

コミュニティセンターとなっている「上常呂駅」跡
次の駅は「上常呂駅」です。サロマ湖の近くにある「常呂」よりも常呂側の上流にあることから名付けられた地名のようで、地名だけ見たら飛び地のようにも感じます。もともとコミュニティセンターとなっている駅舎跡は残っているものの、ホームの跡は公園となっていました。

駅跡の公園は「上ところ銀河公園」となっていて、駅名標をモチーフにした看板が設置されていました。駅の入り口だった場所には「上常呂駅」という文言が残されています。

ホーム跡であったであろう場所には「ふるさと銀河線友の会」と書かれた看板が3つ設置されていました。これは運行当時からのものかもしれません。

ホーム跡は、広場のような公園となっていました。ここに列車が走っていたとは思えないほどにきれいさっぱり。

そんな上常呂駅跡の近くには「山わさび醤油漬け」で有名な「百留屋サービスストアー」があります。ここで売っている醤油漬けはどこのものよりもおいしいと思うんだけど、残念ながら日曜日は定休日。ふるさと納税で申し込むか……。

農機具置き場となっている「広郷駅」跡
続いては「広郷駅」です。もともとは板張りの簡素な駅だったようで、今では農機具置き場として利用されているようです。ホームの跡などは見つかりませんでした。

駅舎が休憩所として残る「日ノ出駅」跡
「日ノ出駅」では、駅舎として使用されていた建物が休憩所兼トイレとして使用されていました。建物自体はしっかりと残っているけども、元々が駅跡だという看板などは残されてないみたい。

駅の裏手は工場となっていて、当時線路が通っていたであろう場所は更地になっています。先の路盤もなくなっていて、線路があったというのを知らなければわからないと思う。

何か痕跡が無いかと休憩所になっている部屋に入ってみると、壁に昔の日ノ出駅の写真が飾られていました。でもこれ、廃止前から貼られっぱなしになっているだけなような気もする。


ホーム跡の路盤が残る「穂波駅」跡
道道50号線に沿う形で設置されていた「穂波駅」の跡。線路の路盤の跡がしっかりと残されています。

駅舎やホームの跡が残る「訓子府駅」跡
「訓子府駅」は農業交流センター「くる・ネップ」として駅舎が残されており、入り口には「ふるさと銀河線」の文言もそのままになっています。

旧待合室として使用されていたであろう場所は、今ではバスの待合室として使用されているようです。中には「駅茶屋」という軽食店もあるみたいだけど、訪れた時には営業時間外でした。

壁に展示されているポスターを見てみたら、北見バスのフリーパスが紹介されていました。北見市内を中心に陸別や津別などにも行くことができるようで、それで1日2,000円。うまく使えばお得に乗れそう。

ホーム跡。点字ブロックなどもそのまま残されていて、今からでも列車がやってきそうな雰囲気です。でも営業当時の写真とかは何も残ってないんだよね。なんだか寂しい感じもする。

「銀河公園」となっている裏手から撮影。親子連れが遊びに来ていたりもしていたので、町民の憩いの場となっているようですね。

ソーラーパネルが設置されている「西富駅」跡
「西富駅」の跡地。もともと簡素な駅だったこともあり、痕跡は何も残っていませんでした。今ではソーラー発電所となっています。

畑の一部になっている「西訓子府駅」跡
「西訓子府駅」の跡地です。西富駅と同じく簡易的な駅だったようで、ホーム跡などは見受けられません。跡地は畑の一部になっているようです。

駅跡の碑が設置されている「境野駅」跡
「境野駅」の跡地です。当時の駅舎は解体されてしまっており、今では「境野交流センターあぐり」という施設が建てられています。

敷地内には「境野駅跡地」と書かれた石碑が設置されており、ここにふるさと銀河線の駅があったことを記しています。こうして何かしらの痕跡を残してくれるのっていいよね。

玉ねぎ畑の農道になっている「豊住駅」跡
「豊住駅」の跡は玉ねぎ畑の一部として、線路が農道となっていました。にしてもさっきから玉ねぎが多いなと思ったんだけど、そういえば北見って玉ねぎの一大産地だったな。

線路が一部残されている「置戸駅」跡
置戸町の中心部にあった「置戸駅」の跡地です。コミュニティセンターに併設されていた駅で、ホームがあった場所は公園のように整備されていました。線路があったであろう場所は枕木が地面に埋め込まれているなど、ちょっとした遊び心も感じられます。



池田側の一部区間には線路が残されていました。やっぱり線路が残っていると廃線跡って感じがする。

駅の時刻表が残っている「小利別駅」跡
置戸から池北峠を越えて、小利別の集落へとやってきました。ちなみに池北峠には「釧北仮乗降場」という停車場が設置されていたようだけど、1957年には廃止。今では廃線跡の道を歩いていかないと行くことができないようです。

小利別駅の跡はコミュニティセンターとなっていますが、コミュニティがどこまであるのかが謎に感じてしまう。まあ何もなく放置するよりはという感じなのでしょうね。


中には自由に立ち入ることができるようになっており、駅ノートなども設置されていました。でも置いてある紙の日焼け具合がなんともさみしい雰囲気。

また、当時のホームへの出口の上には運行当時の時刻表が残されていました。基本的には池田止まりだったようだけど、1日1本だけ帯広に直通する列車が運行されていたようですね。

さて、小利別駅を出て少し集落の散策へ。まずこちらは旧小利別小学校の跡地です。廃校後はとほ宿の「夢舎」として使用されていたようですが、今では陸別の高台に移転(休止中)しています。今では人の気配もないけども、多くの子どもたちでにぎわった時代があったんですね。

小利別の集落を見下ろす位置にある小利別神社。今でも小利別の街を静かに見下ろし続けています。

小利別駅のある交差点に設置してある看板。辛うじて文字は見えるけど、そろそろ柱が朽ちてしまいそう。

工事の事務所になっている「川上駅」跡
昭和30年代には周囲に人が住まなくなってしまい、国鉄末期の段階で利用者がほぼ「ゼロ」となっていた川上駅。駅の跡地は工事の事務所になっており、廃止後も残っていたという駅舎は残っていません。また、駅前には「森と水と星のシンフォニー」というモニュメントもあったようだけど、これも現在は無くなっていました。

線路と駅名標が残っている「分線駅」跡
陸別駅跡から「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」による運転・乗車体験が行われている関係で、現在でも線路が当時のまま残されている「分線駅」の跡。ホームのような場所には駅名標も設置されているけども、これは当時のホーム跡ではなく新たに新設されたもののようです。


駅の設備や車両も残されている「陸別駅」跡
最後までふるさと銀河線の廃止に反対していた陸別町にある陸別駅。現在では「りくべつ鉄道」が駅の維持管理をしており、廃線跡を使用した乗車体験や運転体験を行っています。そんなわけもあって駅跡には線路やホームなど、営業当時のままの設備がそのまま残されています。


駅のホームには自由に立ち入ることができ、ふるさと銀河線で使用されていた車両を見ることができます。タイミングが合えばエンジンが掛かっている場合もあり、そのまま乗車して北見や池田まで乗車して行けそうな雰囲気。どこかにタイムスリップできる機械とか置いてないですかね。


待合室の建物が残されている「薫別駅」跡
陸別駅の次、「薫別駅」の跡にやってきました。草を刈らなければこんな感じになってしまうというのが良くわかる光景になっていて、路盤などの跡も確認することはできません。

線路の跡などはもう残っていないようだけど、少し先に待合室のような建物が残っていました。ドアが開いていて入れそうです。

古い航空写真を調べてみると池北線の頃からあった建物のようで、中を見てみるとふるさと銀河線の新聞記事などが展示。でも床が抜けそうな状況になっているので、いつまで残っているのかは未知数って感じです。


駅舎が撤去されてしまった「大誉地駅」跡
国道242号線とは反対側にある集落の真ん中にあった「大誉地駅」です。10年位前までは駅舎が残されていたようだけど、今では解体されて基礎部分だけしか残されていません。廃線跡の廃止って感じで寂しい。

森の中に埋もれている「笹森駅」跡
JR北海道に移籍するまで「仮乗降場」となっていた「笹森駅」です。国道から砂利道を少し進んだ先に駅跡があり、なぜこんな所に駅があったのという感じ。周囲には人の気配は全然ありません。

ところで、笹森駅跡の少し先に「トブシの滝」という小さな滝があります。国道のすぐ脇にあるので、車を止めて1分くらいの所要時間で見に行くことが可能。クモの巣が多いのだけは要注意。

小さな滝だけど、森の中で心落ち着く空間が広がっていました。長距離運転になりがちの北海道なので、ちょっとした休憩スポットとしてもおすすめです。

道路看板に痕跡が残る「上利別駅」跡
上利別の集落にあった「上利別駅」の跡地です。現在では駅舎は解体され、砂利の広場となってしまっていました。

ちょうど訪問したときに廃止代替バスがやってきたので撮影。駅があった前の道は「上利別停車場線」となっていて、ここに駅があったことを静かに語っています。

なぜここに? 畑の中にあった「塩幌駅」跡
国道242号線から細い砂利道を進んだ先にあるのが「塩幌駅」の跡地です。廃止前から周囲は畑しかなかったようで、何でこんな場所に駅があったのかが疑問でしかない。少し(というかかなり)離れたところには神社があり、その昔には人々が住んでいた歴史があったのかもしれない。

資材置き場のようになっている「西一線駅」跡
国道242号線沿いにあった「西一線駅」の跡。跡地は更地となっており、資材置き場のようになっていました。ここも周囲には人の気配はあんまりないけど、「西一線神社」という神社が近くにあります。やっぱり集落ごと無くなってしまったのかもしれない。

駅舎がレストランとして再利用されている「愛冠駅」跡
ここまで何も痕跡が見当たらない駅が続いていたけど、次の「愛冠駅」は駅舎がそのまま残されているほか、当時のホーム跡も保存されていました。きれいに残されているのは駅舎跡がレストランとして再利用されているため。行ってみたいけども完全予約制なんだとか。


ホーム跡。点字ブロックなどもそのまま残っているようです。

ホームの手前にあった謎の施設。鉄道関連のもののようには思えるけど、いったい何だろうか。

ところで、この「愛冠駅」は「愛のカップル」に通じるということもあって縁起がいい駅名として有名となった歴史があります。そんなわけで駅前に掛かる橋は「ウエディングブリッジ」という名前が名づけられています。

「愛の泉」と呼ばれる湧き水。飲んでいる人もいるみたいだけど、ちょっと生水をそのまま飲むのは怖いかな……。

道の駅の増築によってなくなってしまった「足寄駅」跡
ふるさと銀河線の沿線でも大き目な街である「足寄」に到着。駅跡には古そうな看板が設置された建物があるけど、これは足寄駅の旧駅舎をイメージした建物で当時のものではありません。今ではバスの待合室とカフェとして使用されているようです。

中には国鉄時代の運賃表や時刻表が設置されています。これを見ると、国鉄末期でもあまり本数は差が無かったようですね。にしても全盛期ってどれくらい本数があったんだろうか。昭和30年代くらいの時刻表を見てみたい。

裏手には国鉄風の駅名標と共に線路が敷かれていました。

さて、それではふるさと銀河線の駅跡を見ていきましょう。当時駅があったのは道の駅「あしょろ銀河ホール21」です。完成したのはふるさと銀河線への転換から6年後の1995年でした。

運行当時は道の駅の中から駅に行けたようですが、廃線後は駅跡を使用して道の駅の増築や広場の整備が行われたため、ホームの跡などは残っていません。その代わり、道の駅の中に駅名標やふるさと銀河線の歴史などを記した資料などが展示されています。

「レストラン あしょろ」で名物の「フキ」を食べてきた
到着した時間は14時過ぎ。このままだと昼食を食べ損ねてしまうということで、道の駅の中にある「レストラン あしょろ」へ。いろいろなメニューが有って悩んじゃったけど、足寄の名物だという「フキ」をたくさん使用した「足寄弁当」を食べてみることにしました。

こちらが足寄弁当(1,500円)です。足寄産のフキの水煮、炊き込みご飯、天ぷらのほか、かぼちゃコロッケなどが盛り合わせになったボリューム満点な定食。いただきまーす!

やっぱり新鮮なフキといえば天ぷら。藻塩を付けていただきます。サクサクしてて美味しい。どれも美味しかったので、買う予定のなかったお土産用のフキを購入。家でも楽しみましょう。

駅跡が簡単な資料館になっている「仙美里駅」跡
国道242号線から少し入った場所にあった「仙美里駅」の跡です。駅舎が当時のまま残されており、駅舎の中は自由に入れる資料館となっているようです。

駅舎自体は残っていますが、線路跡などは残っていません。駅横の部分は廃止代替バスの転回所として利用されているようです。

駅舎の中は「仙美里鉄道資料室」として開放。ふるさと銀河線の思い出の写真をはじめとして、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技の金メダリストで戦時中に軍馬補充部十勝支部に勤務していた「バロン西」に関しての資料が展示されています。




明治時代の跨線橋が残されている「本別駅」跡
現在は「道の駅ステラ★ほんべつ」として駅舎が再利用されている「本別駅」の跡地。交差点の信号に「本別駅」と記載があるほか、明治時代に建設された跨線橋が残されています。

明治時代に作られた跨線橋。改修工事が行われていますが、歴史を感じる佇まいはそのまま。なお線路部分は復元されたもので、運行当時のものではありません。

跨線橋は渡ることができるようになっており、入った瞬間にタイムスリップしたかのような感覚が味わえます。なんだこの長年の時を重ねた空間は……。


跨線橋にはSLが運行されていたころの写真も展示されています。よく見ると今渡っている跨線橋が写っていました。いつまでも残っていてほしい建造物ですね。

甘納豆屋さんがお金を出して作った「岡女堂駅」跡
駅跡に到着すると「岡女堂」という甘納豆や和菓子の製造販売をしているお店があります。この駅は1995年に沿線にあった「岡女堂」がお金を出して作った駅で、駅施設の所有権も会社が保有。そのためホームなどは解体されずにそのまま残されています。

ホームにある駅名標には「岡女堂」の店名と同じフォントが使用されていました。実際にこの駅で降りて買いに来た人がどれだけいるかはわからないけど、路線図や案内で名前が呼ばれるだけでも宣伝効果はあったんでしょうね。

ふるさと銀河線の時刻表も残されていました。北見方面の列車は朝と昼と夕方・夜になっていて、時間帯によっては大幅に空くタイミングもあったようです。これじゃ途中下車して買い物ってのは難しいよなぁ。

工場の裏手にひっそり有った「南本別駅」跡
北海道糖業の本別製糖所の裏手にあった「南本別駅」の跡です。周囲にあるのは工場だけで、使い道としては工場への通勤くらいしか考えられない場所に位置していたようです。現在の駅跡には何も残されていません。

次の駅に向かおうと思って車を走らせると、少し先に看板を発見。反対側から見てみたら「南本別」という文字が残っていました。なぜこれだけ残っているのか、謎が深まる駅です。

駅舎のあった場所はトイレになっている「勇足駅」跡
2023年のストリートビューではコミュニティセンターとして駅舎が残っていた「勇足駅」の跡です。現在では駅舎は無くなっており、公衆トイレが設置されていました。

駅の裏を見るとパターゴルフ場になっているようでした。線路の跡などは残っていないようです。

反対側を見ると鉄道の標識がポツンと残されていました。先ほどの南本別駅の跡でもそうだったけど、なんでこれだけ残っているんだろう。

草原となっている「大森駅」跡
関東にも同じ名前の駅がある「大森駅」の跡です。北海道の跡地は幹線道路沿いの草原になってしまっていました。

駅跡のモニュメントが設置されている「高島駅」跡
池田町に入って最初の駅だった「高島駅」の跡地です。駅舎などは解体されてしまっているものの、駅の跡には国鉄風の駅名標が設置されているほか、大正時代に植えられた「ヤマモミジ」が残されています。

奥には線路の一部と高島駅を紹介する看板が設置されていました。

藪に埋もれている「様舞駅」跡
ふるさと銀河線の最後の駅、道道237号線沿いにあった「様舞駅」の跡地です。季節が季節なこともあって、藪に埋もれて駅跡の痕跡は確認できませんでした。当時から利用者はほぼ「ゼロ」だったようで、全線廃止前に廃止という話もあったようです。

何か痕跡が無いかと思ってみていたら、近くにある集落の紹介看板に駅が記されていました。設置された法事は家が結構あったような雰囲気だけど、今は全然ありません。

根室本線との分岐駅だった「池田駅」に到着
時間が心配だったけど、無事に起点駅であった「池田駅」に到着しました。この駅は現在では根室本線の単独駅として存続しています。駅の雰囲気は結構古い感じで懐かしさを感じます。

駅構内にはみどりの窓口が設置されていますが、訪問した時間には営業時間外。ここ最近でJR北海道の窓口営業時間が結構短くなった印象です。

ところで、駅の少し北見側にある踏切にはふるさと銀河線の廃線跡が残されています。踏切の敷地に比べて踏切部分が狭くなっていて、余っている部分がふるさと銀河線の線路でした。


釧路空港から羽田へ帰還
池田駅に無理してやってきたのもあって、もう時間がない。池田駅からは車を飛ばして釧路空港まで直行でやってきました。空港が市街地よりも西側にあるので、こういう時は助かる。

釧路空港から羽田空港まで(日本航空|JL544便)
搭乗する飛行機は19時45分発だったんだけど、使用機到着遅れの関係で15分の遅延。まあ問題ないでしょう。

ところで、釧路空港ってかなり霧が多いことで有名です。そんなこともあって日本国内でも有数の霧に強い設備を備えているんだけど、今日はこの通り霧はなし。無事に飛行機にも乗れそうです。

さて、今回の渚滑線・湧網線・ふるさと銀河線という廃線跡めぐりの3日間も無事に終了。しかし旅行記が長すぎて書くのが大変だったな……。
定期的に来ている道東だけど、おそらく次は来年だと思う。今年は予定いっぱいだしね。
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