今日は2日目。世間では月曜日に有休を取得して4連休! なんてしている人も居るけども、私は月曜日はお仕事なので日曜日で帰還。仙台駅からの新幹線は20時前なので、比較的ゆっくり過ごせそうです。

サバの味噌煮や野菜プレートなど、ボリューム満点の朝食
朝食です。メインディッシュのサバの味噌煮を中心に、オクラやパプリカ、ポテトサラダなどが乗っているプレートなど品数豊富なラインアップ。結構夕食でお腹いっぱいになってしまっているんだけど、食べきれるかな……?

食後のデザート。ナシとリンゴ、さらにシャインマスカットでした。結構お腹くるしい感じになっちゃったけど大満足。ごちそうさまでした!

気仙沼市内の観光や震災遺構を見てきた
今日の行程は気仙沼市内の観光と震災遺構を見てくることと、その後は仙台方面に向かいつつ道中寄り道する流れ。どうしても気仙沼だと震災の話が切り離せない気がする。
大島の先端にある「龍舞埼」へ行ってみた
最初に向かったのは気仙沼市の中心部から見える大島。以前は橋が架かっていなかったので気軽には行けなかったんだけど、2019年に「気仙沼大島大橋」が開通。それによって気軽に行けるようになりました。
そんな大島の先端にあるのが龍舞崎。景色も良さそうなので行ってみました。
道中は左右に松の木が並んでいる松並木。結構風は強いけど防風林のような役割を果たしているので道ではそんなに風は感じません。

松の木に加えてたくさんあるのはキノコ。なんだかヌメヌメしていてナメコみたいな雰囲気。食べられるのかな(知らないキノコは触らない方が良い)。

松並木をしばらく歩いていくと目的地に到着。ちょっと曇っているのが残念。

これは灯台かな。入れたりはできないようです。

展望台からは太平洋を眺めることが出来ました。少し先に黒崎島があるみたいだけどどれだろう。

駐車場までの帰り道、分かれ道を進んだ先にある「乙姫窟」にも行ってみました。ここはその昔、漁師の若者と船で流れ着いた娘が恋に落ちたと言われている場所。男女で来たら恋がはじまるかも……?

階段を降りて波打ち際に行くこともできるけど、あんまり近づくと潮をかぶるので注意。

洞窟のような場所の反対側には岩場が広がっています。ここから船を出していたりしたのかな。そんなことはないか。

最後に駐車場の脇にある「道祖神」へ。ご神体の形が……だけど、ここは縁結びや子宝にご利益があるってことである意味正しい形な気もする。

津波の避難所にもなった「安波山公園」で市内を眺める
次にやってきたのは、標高300メートルほどの山にある「安波山公園」です。ここは気仙沼市内を一望できる展望台でもあり、津波の時の避難場所にもなった場所でした。
駐車場に車を停めて「ひのでのてらす」という展望台から気仙沼市内を眺めます。中央右側は今は緑が広がっているけども震災前は多くの建物が立ち並んでいました。ホント全部を飲み込んで行ったんだなぁ……。

レストランやお土産屋さんが集まっている「海の市」へ
続いては気仙沼周辺で獲れる魚介類を使った料理やお土産がたくさん売っている「海の市」へ向かいます。道中見つけたのは気仙沼線BRTの専用道。以前は鉄路でしたが、震災後はBRT(要するにバス)での復旧となり、鉄路としては廃止されてしまっています。

住宅街の細い道を進んで行くと、なんだか大きな鳥が前を横切って行きました。カラスやハトじゃないしと思って見てみると、キジっぽい姿が。なかなか見かけないから嬉しい。

海の市に併設された気仙沼市魚市場に駐車。ここは震災時に多くの人が避難した避難所でした。津波は市場の2階の高さまで襲ってきたらしい。

駐車場には休憩所のような感じで多くの人が滞在できそうなスペースも確保されています。

魚市場から見られる気仙沼港。今は静かな港になっているけど、当時の映像ではここをかなりの高さとなった濁流が流れていました。こう見ると想像できないよなぁ。

海の市を見てきたけども、お腹はいっぱいだし欲しいものも特に見当たらないのでパス。色々な海鮮丼のお店やお刺身が売っていたりしたので、ランチとかには良さそうなショッピングモールでした。

館内でふと見かけたのが旬のお魚カレンダー。昨晩食べたイカやカツオ、マンボウにサンマなどが載っていました。ってことは大体の気仙沼で獲れる魚介類は食べたってことっぽいね。

津波の震災遺構「伝承館(旧気仙沼向洋高校)」へ
海の市の後は、津波の被害を今に遺す「伝承館(旧気仙沼向洋高校)」に来ました。ここは以前の旅行で来たのは良いけど営業時間外だったので、中に入るのは初めて。津波に襲われた気仙沼向洋高校の校舎を遺構として残している場所です。


最初に津波襲来時やその後に発生した火災の映像を見た後、写真が展示されているエリアを抜けて災害遺構へ。なお映像や展示品の撮影は不可ですが、災害遺構は全て撮影可能です。
まず最初にあったのはトイレだった場所。ここだけ見ると意外と形状を維持している印象はあるけど、中はガレキだらけになっていました。

隣は男子トイレ。便器はそのまま残っていましたが、内部にはどこから来たのかもわからない木材などが散乱していました。

ここは保健室だったようです。右奥に見えるのはベッドだったものでしょうか。天井は全て無くなっており、骨組みだけになっています。

ここは会議室だった場所。机などがあったと思われますが何も残っていません。

明らかに学校で使うものではなさそうな木製のパレットが散乱している部屋は、なんと校長室だった場所。いったいこの木材はどこから流れてきたんでしょうか。

2階は立ち入り禁止になっていて、続いての見学フロアは3階。近くにあった車整備のお店から流れてきたという車がそのまま残っていました。1階ならば理解できるけども、ここは3階です。こんな場所まで車を持ち上げて運んでしまう津波の威力を実感できます。

車の反対側にはさまざまな書籍が散乱していました。これはどこにあった本なのだろう。

4階フロア。この階はひざ下くらいまでの高さまで津波がやってきたんだそうです。そのため他の階に比べて元の姿を残しています。

それでも部屋の中はこのありさま。ちなみに左手前に見える大きなスポンジのようなものは、校舎に衝突した冷凍工場にあったものなんだとか。

4階に置かれていた金属製の収納棚。錆び具合が津波の高さを示しています。

最後に屋上に上がってみました。校舎に居た多くの人は校外に避難していましたが、一部の教師などは屋上で避難を行っていました。ちなみに目の前に見えるパターゴルフ場は校庭だった場所です。

中庭側には、津波襲来時の写真が展示されています。この写真を見てから中庭のようすをみると、ホントにこの高さまでやって来たのかと信じられなくなる。結構高いよ……?


周囲に民家が無いけど、この方角にだけ少し民家が見えます。あの辺りは少し高台になっていて、わずかな差で津波の被害に遭わなかったエリア。あの場所には琴平神社が鎮座しており、やっぱりなんか神社のある場所って守られているんだろうかって感じます。

左手に見えるのは体育館のような建物。屋根もなくなってしまい、外壁だけが残っている状態です。

校舎を出て正面玄関へ。右上の壊れた部分は、津波で流れてきた冷凍工場が衝突してできたもの。正面衝突じゃなかったことが不幸中の幸いでした。

先ほど上から見た体育館。入口には靴入れらしき部分だけ残されています。

側面を見ているとスロープの手すりがあったであろう部分や柱のような場所が、まるで針金のように曲がっていました。

校舎と校舎の間に何台もの車が挟まっている光景。これは津波の引き波で海に戻っていくときに、車やガレキがこの場所で引っかかって溜まった状態です。今は撤去されていますが、以前は家の2階部分も同じように引っかかっていたんだとか。

先ほどの校舎の向かい側です。通路だけを見ると先ほどよりも被害が少ないように見えますが、天井を見ると配管などがむき出しな状態。中に津波が来た事実は変わりません。

このフロアには教室があったようで、震災前の「普段の様子」を撮影した写真が飾られていました。

それが津波によってすべて壊されてしまいました。こうして見ると自分がいま生きていることがどれだけ貴重なことなのだろうかって思い知ります(なのに存在価値とか言い出している)。

津波に耐えた力士の像がある「三陸復興国立公園」
津波の記憶を後世に残す伝承館を見た後は、津波に襲来されながらも耐えきった力士の像がある「三陸復興国立公園」へ。伝承館からは車で数分の場所に位置しています。
海沿いに設置されているのは、階上地区出身で江戸時代に活躍した力士「第9代横綱 秀の山雷五郎」の像です。江戸時代の大横綱として112回もの勝利を収め、津波という敵にも流されずに打ち勝ちました。

その近くにあるのは「龍の木」と名付けられた木。津波にも負けずに立ち続けたことや、見た目が龍のような形になっていたことでそのような名前が付けられています。なお既に枯れてしまっているようで、今は保存されている状態となっています。

そしてこの公園の海岸の岩場では、押し寄せる波によって潮吹きのように見える「潮吹き岩」があります。タイミングが良ければ迫力あるシーンを見られるけど、タイミングが決まっているわけじゃないので運しだい。

石巻と女川を通りながら仙台へ
気仙沼市内で震災遺構を見ていたけども、そろそろ南下して行かないと慌ててしまいそうな予感。なので気仙沼を後にして、海沿いを通って仙台市内へと向かって出発です。
津波によって多くの命が失われた「石巻市立大川小学校」
日本で第4位の流域面積を誇る北上川。その流域にあった「石巻市立大川小学校」では地震発生時の対応の問題などで児童を含む80名以上の命が失われる事故がありました。最終的には民事訴訟が行われ、宮城県や石巻市に対して14億円を超える損害賠償の支払いが命じられています。

悲劇の舞台となった大川小学校は、海に面していたわけではなく河口からは3キロほどの距離がありました。そのため「ここまでは来ないだろう」という根拠のない憶測なども起き、避難が遅れたのではとも言われています。
大川小学校の校門があった場所。今では学校名が記された部分だけが残っています。

校舎だった部分。この学校は一般的な学校のような雰囲気ではなく、高さも2階建てであまり高くなかったみたい。当時はデザイナーズスクール(?)みたいな感じだったのでしょうか。

大川小学校は被災後に石巻市立二俣小学校に仮設校舎という形で併設されていましたが、2018年には統合によって閉校。校歌が記された閉校記念碑が旧校舎に設置されています。

おそらく中庭のような場所から校舎を撮影。津波は2階にまで押し寄せていて、窓枠などが全て無くなっています。なお校舎内は見学はできず、外から見るのみです。

連絡通路があった場所。支柱が倒されて通路ごと横倒しになってしまっています。

何かの建物があったと思われる場所。基礎部分のみが残っています。

ところで、この学校の裏手には山があり、近場に避難できる場所がないってわけではありませんでした。しかし「裏山に逃げる」という手段を最終的にしなかった結果、多くの命が失われることに。実際裏山に逃げ込んだ一部の人は生存しています。

裏山へと続く道。奥の方に見える白い看板のようなものはなんだろう。

裏山への道を進むと、津波到達点と書かれた看板が置いてありました。ということはこれより先に逃げていれば助かったってことだし、もし押し寄せても上に逃げるという選択肢はあったということに。

さらに裏庭の途中にはある程度の人数が待機できそうなスペースもありました。当時は地すべりなどの危険性を考えて裏山への避難をしなかったとのことだけど、ここに来ていれば助かっていたかもしれなかったと思うと複雑な気分。

高台から校舎方面を眺めます。下に見える白い看板が津波到達点となっていて、この高さまでは上がってこなかったようです。実際「来なかったのを知っている」から偉そうなことを言えるというのは事実ではあるけども、より高い場所に避難するを最優先にしていれば悲劇は防げたのかもしれません。

併設されている資料館には津波が到達した15時37分で止まった時計が保存されています。

同じ石巻市内の門脇小学校では、日ごろから津波などの避難訓練を行っており、いざ津波が来ても裏山への避難が適切に行われたことで被害を最小限に抑えることが出来たと言います。こういうのを見ると今一度、自宅や会社などで災害にあった時の対応を確認しておくのは大事だなと痛感します。
2024年に開通した出島への橋を見てきた
地図を見ていたら女川町に新しく架けられた橋があるとのことで、特に何があるわけでもないけど行ってみました。この橋は出島(いずしま)に渡る女川出島線にある「出島大橋」で、構想自体は昭和の頃からあったんだとか。大島に架けられた橋と同じく、東日本大震災がきっかけで話が進んだみたい。

橋の入り口からは下に降りることができました。総工費は167億円だそうで、スタイリッシュでカッコいい橋です。

仙台駅で食事をして帰路へ
仙台市内に戻ってきたのは18時ごろ。レンタカーの返却時間にも余裕はあるし、新幹線の時間もまだまだ先。ってことで適当に仙台駅の近くで夕食を食べてくることにしました。

無事に仙台駅に到着。やっぱり仙台といえば牛タンだよねってことでお店を調べてみたけど、最初のお店は大行列。時間に余裕があるといってもさすがに厳しそうなので別のお店を探すことに。

味の牛たん「喜助」で牛たんを食べてきた
やってきたのは味の牛たん「喜助」の南町通店。数人の待ちはいましたが、少し待ったら入店できました。さて何を食べようかな。

牛たん定食を頼むときにタイムズのカードを見せて烏龍茶をいただきます。JAFとかエポスカードとかいろいろ優待があるので、どれかしら使えるのはありそうです。

そして注文していた牛たん定食が到着。いろいろメニューもあったけど、今回は切り落とし牛たん定食をオーダー。それにしても切り落としで1,728円って、牛たんの値段が年々上がっているのを実感する。

牛たんの部分をアップにして撮影。こんな感じに撮るとおいしそうだよね。切り落としだったけど食べ応えのある量で満足。ごちそうさまでした!

仙台名物のずんだシェイクをいただく
食後には少し甘いものが欲しくなる。仙台といえばずんだシェイクが有名ってこともあるので仙台駅にあるお店で飲んでくることに。

トールサイズで520円のずんだシェイク。シェイクとしてはちょっと高い印象はあるけども、枝豆の豆のつぶつぶ感もしっかり感じられておいしい。でもこれ、関東でも飲めるんだよね。

仙台から大宮まで(東北新幹線)
ずんだシェイクを食べてお土産コーナーをみたらそろそろ新幹線の時間。本当は窓側が良かったんだけどほぼ満席で通路側しか確保できませんでした。でも後から見たら完全に満席だったので、席があっただけよかったのかもしれない。

乗車するのは19時54分発のはやぶさ。このはやぶさは仙台駅の次は大宮駅で、その後は上野にも止まらずに東京に行くみたい。行きは品川から4時間45分も掛けたけど、帰りは大宮まで1時間で到着。めっちゃ早い。

- 38B
- 仙台→大宮(東北新幹線)
- はやぶさ(38号)
- 新青森→東京
- 仙台→大宮
- 19時54分→21時01分
車両はE5系。コンセントが窓側にしかないので、通路側だとコンセントが使えないんだよね。延長ケーブルとかで使わせてもらうという手はあるけど……。

乗車すること1時間ほどで無事に大宮駅に到着。そこそこの人が下りて行ったけど、ほとんどの人は東京まで乗車していくみたい。

東京都区内から仙台を経由して大宮に戻るきっぷも完遂。往復で1万円くらいで行けると思うと気軽だよね。JRE BANKの優待がいつまで続くのかはわからないけども、使えるうちに使っておきたいな。

やっぱり三陸は魚介類が美味しい!!!
以前気仙沼に行ってお魚が美味しかったので、また食べに行きたいと思って行った今回の旅行。目的のおいしい魚介類もたくさんたべられたし、定期的に来ることで被災地の移り変わりも見られてよかったかなと思える2日間でした。
おいしいおさかな、今度は日本海側とかにも行ってみようかな。

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