留萌本線と深名線の廃線跡を見てきた – 函館から旭川へ移動する2泊3日旅行:3日目

2026年の旅行記

今日は旭川市内から車を借りて、夕方には旭川空港に行く行程。約10時間などの時間があるので、深川から名寄までの路線だった「深名線」の廃線跡を巡ってこようと考えています。名寄まで行けるかはわからないけど、時間を見ながら行けるところまで……かな。

北斗とオホーツクを乗り継いで、7時間の移動な1日 - 函館から旭川へ移動する2泊3日旅行:2日目
函館から北斗とオホーツクを乗り継いで旭川まで移動がメインの一日。ちょっぴり函館の観光も楽しめました。
  1. ホテルクレッセント旭川の朝食
  2. 深川駅を起点に、廃止された留萌本線を見てきた
    1. 深名線の駅舎を利用していた「北一已駅」
    2. ありがとう留萌本線と書かれた旗が置いてあった「秩父別駅」
    3. 国鉄時代の仮停留所の面影を残す「北秩父別駅」
    4. 駅名がしっかりと残っている、終点「石狩沼田駅」
  3. 深名線の廃線跡を辿って朱鞠内湖へと行ってきた
    1. 畑の中を突っ切っていた旧仮停留所な「円山駅」
    2. 車が転回できるスペースが残る「上多度志駅」
    3. 太陽光発電が置かれている「多度志駅」
    4. 民家と民家の間の道を通った場所に有った「宇摩駅」
    5. 道路の拡張で痕跡が消えてしまった「幌成駅」
    6. 農道に転用され、痕跡が皆無な「下幌成駅」
    7. 倉庫として使われている駅舎が残る「鷹泊駅」
    8. 有志によって維持管理されている「沼牛駅」
  4. 道路工事によって痕跡が無くなった「新成生駅」
    1. 駅跡のモニュメントが雪の中に埋もれてた「幌加内駅」
    2. 生産量日本一! 幌加内そばを「あじよし食堂」で食べてきた
    3. 雪の上から駅名が飛び出ていた「上幌加内駅」
    4. 今は倉庫だけが残る「雨煙別駅」
    5. 政和温泉駅の手前に残る「第三雨竜川橋梁」を空撮
    6. 建屋が倉庫となっている「政和駅」
    7. 周囲の家々はなくなった「新富駅」
    8. 駅跡が維持管理されている「添牛内駅」
    9. ここに停留所があった……? 「大曲仮停留所」
    10. 除雪が必須な道の先にあった「共栄駅」
    11. 廃駅跡のモニュメントがすっぽり埋まってる「朱鞠内駅」
    12. なんとなく路盤が残っている「湖畔駅」
    13. 冬にはワカサギ釣りが楽しめる朱鞠内湖
  5. 旭川空港に向かってフライト、帰路へ
    1. 東神楽町の「こぐまグループ 東神楽店」で旭川ラーメンを食べてきた
    2. 旭川空港から羽田空港まで(JAL|JL558便)
    3. 羽田空港から浜松町まで(東京モノレール羽田空港線)
  6. 函館本線での踏破はいつかリベンジを……!

ホテルクレッセント旭川の朝食

朝起きて朝食へ。早速朝食メニューの紹介です。まずは焼豚と鶏肉のロースト、さらにウインナーとお肉メニューがあれこれ。付け合わせに刻みわさびに赤ワイン塩などが用意されていました。

刻みわさび好き
若鶏のローストとウインナー

カレーと揚げポテト。カレーには並んでいたお肉やじゃがいもなどを入れてオリジナルカレーを作って食べられるようです。

カレーとじゃがいもの素揚げ

スクランブルエッグとエッグベネディクト。ガラス容器に半熟卵が入ってるみたい。

スクランブルエッグとエッグベネディクト

肉じゃがときんぴらごぼう。じゃがいもがゴロゴロしてておいしそう。

肉じゃがときんぴらごぼう

ししゃもと鮭のしょう油麹焼き。塩焼きじゃなくて麹焼きってちょっと珍しいかも。

ししゃもと鮭のしょう油麹焼き

サンドイッチコーナー。生ハムやスモークサーモンなどの具材をパンに挟んで、オリジナルのサンドイッチを作ることができます。

具材がたくさん
パンに挟んでオリジナルのサンドイッチを作れる

食パンやブレッドのほかにも、クロワッサンやパンケーキなどさまざまなパンがあるので、好きなパンと合わせて作るのも楽しそうだね。

クロワッサンやデニッシュなどのパンが並ぶ

厚焼き玉子やトロロ、ザーサイなどの総菜とお茶漬けコーナー。ふりかけやご飯のお供を乗せて、ホタテだしを掛けて食べるお茶漬けが楽しめます。

北海道産の大豆を使った納豆と道産のたまご。朝の定番メニューです。

生卵と納豆

ご飯とお茶漬け用のホタテだしにお味噌汁、コーンスープです。ごはんは北海道産の「きたくりん」って品種みたい。

ご飯やお味噌汁など

生野菜のサラダコーナー。ミックスサラダにトマト、ポテトサラダにブロッコリーなどが並びます。ドレッシングには大根おろしやフレンチドレッシングがありました。

サラダコーナー
ドレッシングもいろいろ

デザートにはグレープフルーツやパイナップルの他、自家製のプリンにヨーグルト。ヨーグルトにはいちごやブルーベリーのソースをつけて食べられます。

他にも見切れちゃってるけど、バニラやストロベリーアイスがありました。

デザートコーナー

ドリンク。お茶や炭酸水のほか、お酢の「美酢」や牛乳、北海道名物のソフトカツゲンや各種野菜ジュースなどがありました。また、部屋に持って帰れるコーヒーも。

お茶や炭酸水
お酢ドリンクや牛乳など
コーヒーは部屋に持って帰ることができる

持ってきたバイキングメニュー。品数的には多すぎず少なすぎずでバランスよくいろいろな物が食べられて満足。そしてスモークサーモンは好きなのでそのままパクパク食べちゃいました。買うと意外と高いんだよね……。ごちそうさまでした!

持ってきた料理をもぐもぐ

深川駅を起点に、廃止された留萌本線を見てきた

今日は深川駅から1995年に廃止された深名線の廃線跡を辿って行こうと思ったんだけど、先に1週間前に廃止された「留萌本線」の廃線跡を石狩沼田まで見てくることに。廃止直後を見るって初めてかもしれない。

さて、まずは旭川駅前にあるオリックスレンタカーで車を借りてきました。旭川空港に乗り捨てで予約していて、特に車種は希望していなかったけどアクアでした。今日は比較的長距離運転の予定なので、燃費が良い車は助かる。

最新モデルではないっぽいけど問題なし

旭川駅から30分ほど車を走らせて深川駅に到着。元々は「深名線」「留萌本線」「函館本線」の3路線が乗り入れるターミナルだったけど、ついに函館本線の単独駅に。なんだか名寄本線と深名線が廃止されて宗谷本線だけになった名寄駅みたいな感じ。

深川駅

駅構内の行き先案内には、旭川の横に書いてあったであろう石狩沼田の文字が消されていました。特に留萌本線に関する記載はなく、元々そんなものはなかったかのよう。寂しいね。

もう留萌本線はなくなってしまった

なお駅前に設置されている「深川情報マップ」にはまだ記載が残っています。こういうのって気がついたら何十年前に廃止されたのみたいなものが残ってたりするけど、どうなるんだろうね。

駅前に設置されている深川の案内マップ

深名線の駅舎を利用していた「北一已駅」

「北一已」って見て読み方が一発でわかる人はあまりいないと思う難読駅名。「きたいちやん」と読みます。1954年に地域の希望により設置費用の大半を負担することで作られた駅で、駅舎は深名線の「宇津内駅」の物を転用したものが使われていました。

廃止前には白い部分の下に駅名が書かれていたようですが、既に撤去。入口や窓などはベニヤ板で覆われてしまっていて、中の様子を見ることはできないようになっています。見ただけで「もう使いません」ってのが見せつけられているような状態に。

扉などがベニヤ板で覆われてしまっている

裏手に回ると、立入禁止にはなっているもののホームはそのまま残されています。しかし駅名標は取り外し済み。それにしてもわずか数日でここまで封鎖されているのにびっくり。

ホームは立ち入り禁止になっている

ふと駅舎を眺めていると、裏手に2羽のスズメが居ました。もしかしたら「毎日来てた大きなかたまりが来なくなったね」とか話しているのかもしれません。

つがいのような2羽のスズメ

ありがとう留萌本線と書かれた旗が置いてあった「秩父別駅」

なんだか埼玉県に有りそうな名前の「秩父別駅」です。留萌本線が開業した1910年から設置されていた駅で、116年もの歴史があった駅でした。現在の駅舎は1971年に改築されたもので、当時は貨物の取り扱いも行われていたんだそうです。しかし晩年には利用者が1日20人ほどに。それでも廃止区間の途中駅では一番利用客が多かった駅でした。

先ほどの北一已駅と同様に駅名は取り外され、入口や窓の部分はベニヤ板で覆われています。でも何か書いてありますね。行ってみましょう。

入口が封鎖されている秩父別駅

そこには「ありがとう留萌本線」と書かれた旗が設置されていました。ラストランの3月31日にお別れセレモニーが実施されたようなので、その時に使われていたものなのかもしれません。

「ありがとう留萌本線」と書かれた旗が設置されていた

国鉄時代の仮停留所の面影を残す「北秩父別駅」

秩父別の北部の人が使うため……と町からの依頼で作られた、国鉄時代の仮停留所を前身とする駅。1面1線の木製のホームだけの駅でしたが、開業当時から木造の待合室が設置。しかし2022年に老朽化のため取り壊され、プレハブ小屋が設置されていました。

踏切の真横に有った駅で、踏切には「この踏切は使用停止のため列車は通りません」との立て看板が設置されていました。なお背後に見えるのは深川留萌自動車道で、深川から留萌までの大部分が無料の高規格道路。道路は留萌まで徐々に延伸して2020年に留萌まで全線開通し、鉄道は2023年に石狩沼田から留萌が部分廃止され、2026年に全線廃止。移動手段の世代交代を間近に見られるポイントになってしまいました。

廃止直後の路線の方が悲壮感が大きい

駅名がしっかりと残っている、終点「石狩沼田駅」

そして終点の石狩沼田駅に到着。この駅は留萌本線の終点として廃止となりましたが、1972年までは札幌(正確には桑園)までを結ぶ札沼線の終着駅でした。もともとは石狩川を渡る橋が無かったことで函館本線と並行していても意味があった区間でしたが、多くの橋が架けられたことなどで利用客が減少。新十津川から石狩沼田の廃止に始まり、2020年には北海道医療大学から新十津川までが廃止。2020年の廃止は新型コロナの影響があり、セレモニーも何もない突然の繰り上げ廃止となっています。

当初は深川から留萌までを全て廃止にする予定だったものの、沼田町の要望により3年間の延長が決定。わずか3年間だけでしたが、51年ぶりに「終着駅」としての最期となりました。

留萌本線の沿線でも鉄道への意欲が強い印象があった沼田町。駅舎に設置されていた「JR」の文字は撤去されましたが、駅名はそのまま残されています。町が残してほしいなどと依頼したのでしょうか。

駅名がそのまま残る駅舎

駅舎に入ることはできなくなっていますが、4月中旬にオープン予定。留萌本線の資料館などになるのかな。楽しみですね。

今後は観光協会が管理するっぽい?

駅舎の裏手に回ると、駅名標が外されたホーム。カラーコーンは置かれていたものの、他の駅のようなバリケードは設置されておらず。やはりここだけ対応が違うみたい。

列車の来なくなったホーム

既に2023年に廃止となった留萌方面にも線路が続いていました。でもなんだか霧が濃くて先まで見通せません。なんだかまるで、留萌本線が幻想の中に消えてしまったかのように……。

霧の中に消えていく線路

深名線の廃線跡を辿って朱鞠内湖へと行ってきた

さて、留萌本線の直近廃線区間を見終わったので本来の目的である深名線へと向かいます。深名線は深川駅で函館本線から分岐し、幌加内や朱鞠内を通って宗谷本線の名寄駅までを結んでいた全長121.8キロの路線。起点の「深川(ふかがわ)」と終点の「名寄(なよろ)」から1文字ずつ取って「深名線」と名付けられていますが、読み方は「しんめいせん」で「ふかなせん」ではありません。

国鉄末期やJR発足当初の廃止は免れた路線でしたが、1995年に全線廃止。今ではJR北海道バスの「深名線」が代替バスとして運行されています。

畑の中を突っ切っていた旧仮停留所な「円山駅」

深川から出発した列車が最初に停車したのが「円山駅」で、のどかな田畑の途中に設置されていた駅でした。国鉄時代は仮停留所として設置されていたこともあり、乗客もわずか。それでも1日数人の利用はあったとのことです。

路線があった所が道路として転用されているほか、ホームがあった場所が盛土のようになっている以外は痕跡はありませんでした。なおすぐ手前にある建物は駅の施設ではないようでしたが、既に人の気配もなく使われているのかは不明。

円山駅跡

車が転回できるスペースが残る「上多度志駅」

続いては国鉄時代に仮停留所から駅に昇格し、駅舎も置かれていた上多度志駅。1面1線の小さな駅で、有人駅時代の駅舎が待合室として使用されていました。

駅舎は解体されて現存せず、線路跡は道路に転用されて痕跡はなし。駅があった当時に車が転回できるようになっていた道だけが駅があった痕跡を残しています。

この辺りに駅があった

太陽光発電が置かれている「多度志駅」

廃止時点では1面1線の小さな駅だった多度志駅。貨物駅として営業してた時には2面2線の列車交換が可能な駅だったようです。航空写真で見ても敷地らしき部分が大きいことが見てわかります。

しかし現在では駅舎などは解体され、駅跡は更地になってしまっていました。一部の場所には太陽光パネルが置かれていましたが、他は何もない空き地に。ちょっとした碑でも有ったらよかったんだけどね。

駅跡は更地になっている

多度志駅から次の駅へと向かっている途中、畑のような場所にたくさんの白鳥がたむろしていました。他の場所でもこのように集まっている光景が見られ、今の時期に過ごす場所みたいね。

たくさんの白鳥たち

民家と民家の間の道を通った場所に有った「宇摩駅」

1955年に仮停留所として開業した宇摩駅。JR北海道への継承の際に駅に昇格となり、1面1線のシンプルな板張りの駅でした。駅前広場などはなく、民家と民家の間の私道のような場所を通った先にホームがあったようです。

深名線が走っていたのは奥に見える林の手前あたり。雪が積もっていて近くまではいけそうにありませんでした。よくよく考えると、こんな雪のあるシーズンに廃線を辿るのは間違ってる気がする。

雑木林の手前に線路があった

なお現在では近くの道路にバス停が設置。プレハブの待合所も用意されています。

代替で設置されたバス停

道路の拡張で痕跡が消えてしまった「幌成駅」

1926年に深名線(旧雨龍線)が鷹泊駅まで延伸されたときに設置された幌成駅。以前の駅があった場所は道路工事によって国道と繋がる道ができ、痕跡は残されていません。

この辺りに駅があった

駅の跡には工場が作られており、以前は旧駅舎がそのまま設置されていたようですが、ここ数年で撤去されて新しいプレハブ小屋になってしまったようです。廃線跡の廃止(?)ですね。

跡地にある工場

幌成駅に居たときに、ふと深名線の廃止代替バスに遭遇。バス転換によって赤字は圧縮されたもの大赤字路線であることには変わりはなく、かといって使われていないわけではないので廃止も難しいという難しい状況に。それでも「代替バスの廃止」も遠くない未来にやってきてしまうかもしれません。

深名線の代替バス「深名線」

農道に転用され、痕跡が皆無な「下幌成駅」

1955年に国鉄の仮停留所として開業した下幌成駅。1面1線の板張りのホームとなっていて、廃線跡は農道に転用。今では駅があったのはここなのかと首を傾げるほどには何も残っていません。少し近くには集落が今でも残っていて、その辺りの人が使う駅だったようです。

かなり霧が濃くなっているけども、現地は道幅が拡張されて線路の痕跡も何も残されていませんでした。雪が積もってる辺りにホームがあったようです。

何も痕跡が残っていない

倉庫として使われている駅舎が残る「鷹泊駅」

1926年に当駅まで延伸したときに開業した鷹泊駅。1929年に幌加内駅までの延伸が行われるまでの3年間は深名線(当時は雨竜線)の終着駅となっていました。国鉄末期の1984年まで有人駅として営業しており、現在でも当時の駅舎が残されています。

駅舎の跡は倉庫として利用されているようで、内部に入ることは不可。裏手にはホームも残っているみたいだけど、雪が積もっていて見ることはできませんでした。なお入口以外の窓にはベニヤ板が貼り付けられており、留萌本線の廃線によって駅に行われた処置と同じことがされていたようです。

駅名などは記載されていないが、駅舎は当時のまま残っている

有志によって維持管理されている「沼牛駅」

1929年に幌加内駅まで延伸された際に途中駅として設置された沼牛駅。深名線の廃止後に地元住民が幌加内町から駅舎を譲り受け、今でも有志によって維持管理が行われています。廃止直後は老朽化が著しかった駅舎ですが、改修が行われたことで往来の姿を取り戻しました。

2015年には廃止20年を記念して駅名の看板も設置。今にも列車がやってきそうな駅舎へと生まれ変わりました。通常は内部非公開ですが、イベントなどで解放されることもあるようです。

現役の駅舎のような姿が残っている

裏手に回るとホームや駅名標が設置されていた枠が残されています。ホームの部分の方が高くなっているはずなのですが、雪が積もっていて同じ高さのよう。そのまま歩いていったら足が埋もれちゃいそうです。

ホームの跡も残されている

道路工事によって痕跡が無くなった「新成生駅」

1955年に国鉄の仮停留所として開業した新成生駅。駅名の「新成生」は、当時山形県の成生村(現天童市)から多くの入植者が居たことから、故郷の名前を取って名付けられたそうです。北海道にはこういう入植者によって付けられた地名が結構残っているよね。

駅周辺は駅を挟んで2つのT字路があったものを廃線後に直線の道に改良。その影響で痕跡はなくなってしまっています(ところで地学院地図は以前のままなんだよなぁ)。

当時ホームがあったのがこの辺り。以前は少し先に数軒の家があったようですが、今は解体されて跡形も残っていません。

当時はもう少し先に道があった

駅跡のモニュメントが雪の中に埋もれてた「幌加内駅」

深名線の沿線の中では規模が大きめな幌加内町の中心部に有った幌加内駅。当時の駅跡はJR北海道バスの幌加内車庫の敷地となっています。駅舎は廃止後も残されていたようですが、火災によって焼失して現存していません。なお当時は駅までであった市街地からの道が駅跡の横を通るように延伸されており、「突き当りの謎の空間」でもないのでわかりにくい状況でした。

正確には駅跡ではなく、駅前ロータリーの端っこ……みたいな場所に幌加内駅跡のモニュメントが設置されています。しかし完全に雪に埋もれており、冬の時期には駅名標などを見ることはできないっぽい。

石だけちょっぴり見えてる

駅跡にはあまり痕跡は残されていませんが、中心部を通る国道275線沿いに観光協会が設置したがガイドマップがあり、そこには往年の深名線がしっかりと描かれていました。ってことは少なくとも30年以上前からそのままってことに。

深名線が描かれた観光ガイドマップ

生産量日本一! 幌加内そばを「あじよし食堂」で食べてきた

幌加内といえば日本一の生産量を誇るそばの街。ちょうど昼時だったこともあり、幌加内そばを食べに「あじよし食堂」さんにやってきました。深名線の廃線跡の道中には前にも後ろにもあまり飲食店は無いので、幌加内町中心部で食べておくのが無難な感じ。

お店の入口には2018年に記録した積雪記録のラインがあり、その高さは324センチ! 入口がすっぽり埋まってしまうほどの高さまで積もったってのが想像できないし、2018年ってそんなに昔でもないのが驚き。

あじよし食堂さんで昼食

メインの幌加内そばは、冷たいそばと温かいそばがあり一番安いメニューで780円。さてどっちにしようかと迷いに迷った結果、もりとかけを頼んでも1,500円位ならば……と2つ注文。こういう時に2人で来てれば分け合えるのになと思っちゃうよね。

冷やしたぬきそばもおいしそう

しばらく待っているとお盆にいっぱいのそばが到着。まずは冷たいそばからいただいてみると、しっかりとしたコシとのどごし。ここのそばは二八そばのようで、そばの香りも存分に楽しめました。続いて温かいそばは、冷そばに比べるとコシは弱め。そば自体はおいしいけども、冷そばのほうが自分は好みかも。最後は冷そばのつゆにそば湯を入れて完食。ごちそうさまでした!

それにしてもチェーン店とか乾麺で食べるそばとは全然違うね。さすが日本一の街です。

冷やしと温かいそばをそれぞれ食べる暴挙

雪の上から駅名が飛び出ていた「上幌加内駅」

1955年に国鉄の仮停留所として開業した上幌加内駅。国道275号線から少し入った場所に有った三角形の道で囲まれた中央部に設置されており、今でも特徴的な三角形の道は当時のまま残されています。簡素な駅であったものの、駅ホームが現存。接近標識も残されているなど、当時の面影を残しています。

訪れた際には三角形の道の斜辺となる道は除雪されておらず雪の中。駅跡も雪に埋もれていましたが、接近標識の「上幌加内」だけが飛び出ていました。これが無かったら気づかなかったかも。

上幌加内の接近標識が残る

今は倉庫だけが残る「雨煙別駅」

続いての駅に向かう途中、ふと周囲を流れる川の看板を見かけたので一枚。この辺りは「雨竜郡」と呼ばれており、流れるのは雨竜川。漢字(雨龍と瓜生)は違うけども読み方が「うりゅう」なので、なんだかましろ色シンフォニーとの繋がりを感じてしまいます。背景も真っ白だし、純白なシンフォニーなのかも。

触れた~純白のシンフォニ~♪

さて、続いての駅「雨煙別駅」に到着。この駅は1931年に幌加内から添牛内まで延伸したときに開業した駅。深名線の全線廃止より前、1990年に利用者低迷のため廃止されました。航空写真を見ると周囲にある建物は1軒のみですが、1948年や1978年の航空写真では駅の周辺に民家が点在していたようです。

現在では駅周辺にある建物は利用されているのか不明な倉庫のみ。人の気配はなく、集落が消えてしまったようです。そのため、今の状況だけを見ると「何でここに駅が」と感じてしまう。有人駅があったなんて想像もできない。

この道の先に駅があった

政和温泉駅の手前に残る「第三雨竜川橋梁」を空撮

雨煙別駅から次の駅だった政和温泉駅に向かう道中、現在でも残る深名線の橋梁があるとのことで見てきました。名寄本線などでは多くの橋が残っていた印象だけど、深名線は全然残ってないんだよね。

雨竜川と山々。タイミングよく天気が晴れてくれた

国道275号線から分岐する道の手前に残されている第三雨竜川橋梁。周囲から撮ると木々が邪魔してしまったので、ドローンを飛ばして上空から撮影。雨竜川が雪解け水で濁ってしまっていますが、車窓からは雨竜川の景色を楽しめたんじゃないかなと思います。

雨竜川に掛かる第三雨竜川橋梁

別の角度から撮影。橋は残っていますが、線路は既に取り外されて残っていないようです。なおこの橋は土木学会選奨土木遺産に登録されているようですが、特に案内看板などはありませんでした。

線路はすでになくなっている

なお駅に向かう道は除雪されていないために通行不可。駅の営業当時にあった温泉旅館も閉館し、駅跡も残されていません。しかし道の駅「森と湖の里ほろかない」として温泉自体は営業しており、日帰り入浴を楽しむことができるようです。

駅があった旧道は冬季通行止めみたい

建屋が倉庫となっている「政和駅」

1931年に開業した政和駅。1978年ごろの航空写真を見ると多くの民家が立ち並んでおり、近くには小学校もある大き目な集落だったようです。しかし現在では小学校は閉校、民家の数もかなり減っており、地域全体の衰退を実感してしまいます。

当時の駅舎は建物自体は残されているものの、前面が補強されるなどして当時の面影はあまり残されていません。ですが右上の部分に当時の駅名標(おそらくレプリカ)が設置されているほか、開業と廃止の日付が記されています。この倉庫の持ち主の計らいでしょうか。

倉庫として利用されている旧駅舎
右上部分に駅名標と開通&廃止の年月日が記されている

周囲の家々はなくなった「新富駅」

1955年に国鉄の仮停留所として開業した新富駅。当時は近くの炭鉱から亜炭(品質の良くない石炭)が発掘されており、貨物運搬も期待されたようですが旅客のみの取り扱いとなっていました。現在では周囲に民家の気配はなく、そもそも令和2年(2020年)の国勢調査では「幌加内町新富」には世帯ゼロ。要するに誰も住んでない。

この辺りに道があって奥に駅が設置されていたようです。奥に見える建物は駅とは関係ない物。

一面の雪原

駅が設置されていた幌加内町は過疎化が著しい街で、1955年(昭和30年)の国勢調査では1万2,000人(旧幌加内村)の人口があったのに10年後には1万人を切り、さらに1980年(昭和55年)には4,000人以下へ、そして現在は1,194人に。駅の設置が求められたときの1/10以下の人口となってしまっています。

バス停は設置されているが……

駅跡が維持管理されている「添牛内駅」

1931年に幌加内駅から延伸する形で開業した添牛内駅。駅の周囲には飲食店などもあり、ちょっとした集落として栄えているようです。駅跡には駅舎が残されており、有志による維持管理が実施。美しい朱色の屋根などがかつての繁栄を後世に語り継いでいるような雰囲気です。

駅の内部は普段は公開されていませんが、イベント実施時には解放されているようです。

修繕が行われて当時の雰囲気を残す駅舎

ここに停留所があった……? 「大曲仮停留所」

1955年に国鉄の仮停留所として開業した大曲仮乗降場。JRになるまえの1976年には廃止されてしまいました。当時は数百人の人口があった大曲地区ですが、廃止直前には利用者もほぼいなくなってしまったそうです。なお現在の人口は3人となり、最盛期の1/100となってしまいました。

ちょうど雨竜川が大きく曲がっていた場所に有ったから「大曲」と名付けられた当仮停留所。今は雑木林と共に自然に還っていっています。

この辺りに仮停留所が設置されていた

除雪が必須な道の先にあった「共栄駅」

1955年に開業した仮停留所を前身とする共栄駅。国道275号線から横道に入った先に設置されており、廃止直前の利用客数はゼロ人。廃止以前に役割を終えてしまった駅でした。駅の跡にはバス停や待合所が設置されていますが、そもそも人口はたったの7人。30年前の鉄道を利用する人が居なかったのに、今バスを使う人は居るのでしょうか。

駅前まで行こうとしましたが、誰も使わない道なので除雪もされておらず行くことは不可。もし雪のない時期に来ることが合ったら行ってみましょう。

駅の場所までは雪が積もっていて行けない

先ほどの共栄駅から少し進んだ雨竜川を渡る「深雪(みゆき)橋」を渡ると、何やら跡を発見。最初は手前が深名線なのかなと思ったのですが、こちらは旧道のようで奥にポツンと立つ橋脚が深名線の廃線跡のようです。

これは冬の時期だから見やすかったのかも

廃駅跡のモニュメントがすっぽり埋まってる「朱鞠内駅」

1932年の雨竜線延伸によって終着駅として開業した朱鞠内駅。以前はここから羽幌駅までを繋ぐ「名羽線(名寄~羽幌)」も想定されていたものの、結局は実現せず。名寄から伸ばしていた名雨線と深川から伸ばしていた「雨竜線」を合体させて1941年に「深名線」となりました。

駅跡にやってきましたが、既に駅舎はなくなっておりモニュメントが設置されている……ようなのですが、モニュメントは雪に埋もれていて見えず。某2本が雪の上からひょっこりでているだけでした。

モニュメントは雪の中

なおこの場所は現在バスの停留所となっており、暖房完備のトイレ付きの待合所が完備。何とも立派な施設となっていました。ちょうどトイレに行きたかったので助かる。

立派なバス待合施設が建っている

なんとなく路盤が残っている「湖畔駅」

1956年に国鉄の仮停留所として開業した湖畔駅。その名の通り朱鞠内湖の湖畔にあるから「湖畔駅」なのだけど、駅名から想像できる光景は現地には無く、湖畔までは結構離れていたようです。

駅跡は雪に埋もれてしまっていますが、なんとなく線路の後だったのかなと思える所がありました。雪が無いシーズンならばはっきり見えそう。

なんとなく線路の跡が分かる

駅から少し先に行くと、道と並行して橋が架かっていた跡が残っています。既に橋はないものの、土が盛られて高台のようになっている部分が廃線跡のようです。

左の高い部分が廃線跡っぽい

冬にはワカサギ釣りが楽しめる朱鞠内湖

深名線の沿線に有った朱鞠内湖。展望台があるようなので行ってみました。なんだか大きな湖のようだけど、目立つ展望台は無さそう。稚内行きの飛行機とかで上空から見られたりしないだろうか。

展望台からの景色。朱鞠内湖は冬シーズンにワカサギ釣りができるようで、4月5日の段階でも湖面が凍っていて歩けそうな状態になっていました。しかしワカサギ釣りは3月末で終わっているようで、危険なので湖面には立ち入らないようにとの記載。落ちたら生きて帰れ無さそうだし、無茶をするのはやめておこう。

湖面が凍る朱鞠内湖

旭川空港に向かってフライト、帰路へ

朱鞠内湖の先は名寄まで行こうと思っていたのだけど、朱鞠内湖周辺の駅跡が冬季通行止めの道に有っていけなさそう。そして時間的にも行くと時間がギリギリになりそうなので、ここで旭川空港へと進路を変えていくことに。

空港への帰路の途中に撮った雪原

東神楽町の「こぐまグループ 東神楽店」で旭川ラーメンを食べてきた

空港近くの指定ガソリンスタンドで給油(ホクレンSS、オカモトと数円差なので良かった)して、少し時間があるからご飯でもと思って訪問したのが「こぐまグループ 東神楽店」さん。旭川ラーメンを食べられるチェーン店のようで、結構知られたお店なんだとか。

旭川ラーメンはしょう油な印象だけど、塩や味噌などのほかセット物のご飯メニューも充実。サッでもガッツリでも行けるお店です。

旭川ラーメンのお店

しょう油ラーメンを注文。昨今の値上げラッシュによって、お値段は850円になっていました。あっさりとした魚介だしのスープに固めの麺が良く絡んでおいしい。チャーシューも思ったよりも厚くて食べ応えも十分。旅行の〆に良い一杯でした。ごちそうさまです。

しょう油ラーメン(850円)

旭川空港から羽田空港まで(JAL|JL558便)

ラーメンを食べたら良い時間。空港に向かって車を走らせます。道中では夕暮れのタイミングだったこともあり、なかなか神秘的な光景が撮影できました。街灯などが無いからこその景色できれい。

空港に行く道中で撮影

10時間のレンタカーで走行距離は252.7キロ。ガソリン代を含めても6,000円ほどだったので、費用としてはまあまあかなって感じ。旭川空港までの移動費用も節約できたし。

10時間で252キロも走った

夕暮れの旭川空港。朝は霧があったりしたので心配だったけど、晴れ渡って風も弱いので大丈夫でしょう。

旭川空港に到着!

空港では3階にあるカードラウンジ「大雪」で荷物整理や小休憩。以前は保安検査場の中に有ったけど、外に移動したようです。到着時はうれしいけど、出発時はギリギリまで居られないって難点があるからどっちもどっちだよなぁ。

空港ラウンジで休憩

出発時間の25分前くらいに保安検査を受けて搭乗口へ。5分ほど遅延しているようですが、特に問題もないでしょう。終電ギリギリってわけでもないし。

繁体字が文字化けしているのが気になる

機体は737-800。中型機として国内各地で活躍しているモデルです。JALなので本革のシートが高級感あっていい。

座席は本革

座席の前にはUSB-AとCの充電プラグが付いていました。スマホの充電くらいしかできない出力でしたが、無いよりはあった方が良い。でも欲をいうと65Wくらい給電できるポートが欲しくなる。

充電用のUSBがある

旭川空港から離陸。JALは夜間の離着時に照明を落としてくれるので、映り込みが少なく撮りやすいのが良い。こうして旭川の市街地を見ていると、明るい所と真っ暗な場所がくっきり。少し市街地から離れると一気に人が居なくなってしまっているのが分かります。

旭川市街地の夜景

約1時間半ほどで関東に戻ってきました。関東では奥の方まで明かりが続いていて、人口密度の差を感じてしまいます。実際関東平野ってどこまで行っても人が居る印象があるし。

これは千葉県とかかな?

羽田空港に着陸。ターミナルまではバスでの移動になるとのことで、外で機体を撮影することができました。ソラシドエアではよく沖止めになるけど、JALでは久しぶりかも。以前高知に行ったときぶりかな。

沖止めでバス移動になった

羽田空港から浜松町まで(東京モノレール羽田空港線)

飛行機からのバスを降りたのは22時05分くらい。早く帰れる空港快速の時間が22時10分だったので、急いで駅に向かってギリギリセーフ。乗り遅れると家に着くのが日付変わっちゃうから、出来れば乗りたかったんだよね。

「東京パノラマライン」の認知度はいかほど

夜遅い時間はあんまり快特を出してくれない京急に対して、東京モノレールは空港快速をある程度出してくれています。京急の方が品川から常磐線直通に接続できると楽なんだけど、浜松町と新橋んの2回乗り換えをしてもモノレールのが早かった。

空港快速の浜松町行き
路線名称羽田空港第1ターミナル→浜松町(東京モノレール羽田空港線)
種別空港快速
運行区間羽田空港第2ターミナル→浜松町
乗車区間羽田空港第1ターミナル→浜松町
発着時刻22時10分→22時28分

車両は運行されている列車の中では一番古い1000形。平成の幕あけと共に運行を開始した車両で、もうそろそろ40年。地味にお年だったりする。

私が生まれる前にデビューした車両

函館本線での踏破はいつかリベンジを……!

もともと目的として掲げていた「函館本線のみで函館から旭川まで行く」ことは盛土崩壊による運休で出来なかったけど、温泉も入れたしグルメも食べた、以前から気になっていた深名線の廃線跡めぐりなど満足できる旅行ができました。

でも結局目的は達成できていないので、また函館と旭川で予約して行こうかなと思ってる。でも旭川の方は深名線を辿れば良いけど、函館でそろそろやることが無くなってきてる。どうしようかな。

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